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私は何を見て、何を感じ、何を思うのか ―日陰からお伝えします

脱コミュ障に向けての一歩

こんにちは。日光行きの特急に揺られながら記事を書いてます。今日は最近ようやく苦手意識のなくなったとある動作についてお話します。

 

ご存知の通り、わたしは陰キャ目冴えない科コミュ障属に属しております。今でも知らない人と話すときは口数が極端に減るカスっぷりです。中々悲惨な状況ですが、さすがに22年生きているのでようやくわずかな進歩が見られたように感じております。それは、タイトルにもあるとおり、人の目を見ることができるようになったということです。

 

かつてのわたしは人と話すときの目線は横に逸れてるか、下を向いているかのどちらかの状況で、このことに関しても度々指摘されてきました。今振り返るとこの理由として考えられることは、ただ人に嫌われたくなくて、人と喋ることが怖かっただけだと思います。いつ頃からそんな状況だったのかははっきりと覚えておりませんが、少なくとも幼い頃からそうだったのではと自覚しております。

 

そんな恥の多い人生を歩んできていましたが、最近揉める案件が続いてきたおかげなのか、自分の中である意味吹っ切れたのかはわかりませんが、前ほど抵抗感がなくなっていました。いい傾向です。

 

目を見て話すことができるようになったことで、ある事実に気づくことができるようになりました。それは人の目を見て話すことは人の話を真剣に聞くことができるということです。些細なことかもしれませんが、わたしの中では非常に大きな衝撃を生み出したわけです。実際、目を見ることで注意をよそに向けることなく、会話に集中できるので相手からしても真摯に話を聞いてもらえてると思えて好印象なのではないでしょうか?やはりコミュニケーションの基本である会話は蔑ろにしないことが大事だというのがわたしの持論です。

 

わたしはまだまだ若干応答にキョドったりすることはありますが、マトモな人間になれるよう日々精進したいと思います。

 

それではまた次の記事で。