ゴミ箱はこちらです

私は何を見て、何を感じ、何を思うのか ―日陰からお伝えします

1週間経って

あれから1週間が経った。1週間も経てば自分の中でだいぶ整理できたし冷静になれたので、この1週間の気持ちを振り返ってみる。

 

先週の日曜日の夕方は本当に放心状態であった。とりあえず「電車でGO!名鉄編」の特急ダイヤを無心で全区間走り抜けた。今までにないくらいのハイスコアを獲得することができた。その次に笑点ちびまる子ちゃんを見た。ちびまる子ちゃんを見たのはかなり久しぶりだったが一切の感動もワクワクもなかった。そして夕飯にサンドイッチを一切れだけ食べた。ありえないくらい食欲がわかなかった。その後はひたすらTwitterに篭って早めに寝た。夜が嫌すぎて早く朝を迎えたかった。

 

次の日は月曜日だが祝日だったので研究室はお休みだった。しかし木曜日に合同ゼミで発表することが決まってたので、重い腰を上げて研究室へ向かった。研究室へ向かうと人がいて何気ない世間話を交わした。作業を進めながら話しているうちに心の中のモヤモヤが晴れていくような感じがした。その日は夜遅くまで作業を進めた。

火曜日もひたすらパワポを作ってた。このときすでに気持ち的には普段のときと変わらないくらいになってた。夜はサークルの同期に飲み会に誘われた。このときには愚痴が吐けるようになってた。

水曜日と木曜日はただ忙しさに任せて時間が過ぎていった。ゼミ発表もなんとか終わらせることができた。発表後は懇親会という名の飲み会があった。このときには冷静に当時を分析することができた。やけ酒をしようと思うくらいの心の荒さもなかった。

金曜日はサークルの先輩と少人数で飲み会をやった。正直この飲み会でかなり精神的に復帰できたように感じる。色々喋って笑ってくれる先輩たちのおかげで自分も大笑いすることができた。慰めとか励ましの言葉ばっかりで久しぶりに心から楽しめる飲み会だった。

この土日はついにいつも通りの感じで土日を過ごすことができた。もう寂しさを感じることはあっても悲しんでクヨクヨすることはなかった。

 

結論から言えば、1週間で立ち直ったように思う。やはり冷静になることで、的確に分析することができたのではないか。持ちネタというと言いすぎだが、ちゃんと周りの人にも話すことができるようになった。

 

せっかく立ち直れたのだから、夏を満喫するつもりである。

 

「幸薄い」の底しれぬ魅力

こんにちは。今日は僕の好みとでもいえる「幸薄い系」について書こうと思います。

 

 僕は好きなタイプは基本的に年上か幸薄い系です。幸薄い系が好きとか言うと、ほとんどの人が「は?」みたいな反応をします。具体例を挙げても納得してくれることはありません。あげくのはてには、「それメンヘラじゃん」とまでも。はっきりいいますが幸薄い系はメンヘラではございません

 

幸薄い系というのは、見た目の問題で実際は大体彼氏持ちです。僕から言わせるとこれはごく当たり前の事実です。というのは幸薄い系にはタイトルにもある通り、底しれぬ魅力が存在しているからです。

 

なかなか理解してもらえない嗜好ではありますが、追々語りたいと思います。

 

 

 

「捨てること」への恐怖心

最近『断捨離』とか『ミニマリスト』という語を世間でよく聞くようになった。本当に必要最小限のモノだけを残して他全てを手放すということであるらしい。モノからの解放は物質的豊かさの隆盛を味わっているが、精神的豊かさをさも忘れがちな我々現代人への一種の反抗心の現れなのではないだろうか。しかしこのモノを捨てる行為、私の中ではとてつもなく心理的圧迫感を感じるのである。

 

別に私はゴミ屋敷に住んでるわけでもない。部屋の掃除が嫌いでもない。むしろ定期的にしないと落ち着かないくらいだ。今回取り上げたいのはチリ紙や包装などの一般廃棄物の話ではない。では何かというと、思いがこもっているモノである。

 

私は旅行が好きで色々な場所へ向かう。旅行先では親しい人へのお土産はもちろん、自分用のお土産をいつも買っている。自分用までなぜ買うのかというと、旅行の思い出をそのモノに込めることができるからだ。もちろん写真や自分の心の中でも思い出はできる。しかしそれはいつか消えるのではないか、いつかは行ったというただの事実が頭の片隅にしか残らないのではないか。この不安がいつも私に付きまとう。モノがあることで何らかの形で記憶として保存されると信じている。これは土産物に限ったことではない。何気ない友人たちとの交流や録画しているテレビ番組ですらそうである。

 

モノとして失われることで目に見える形で二度と蘇らないことへの心の喪失感が怖くて怖くて仕方がない。どんなに悔やんでもやり直しやプレイバックができないからだ。人と縁を切るというのも二度とその人の行く末を知る由がなくなる恐怖からいまだにできずにいる。諦めが悪いとでも言えるのかもしれないが、中々私の厄介な人格ではないだろうか。

 

それでは次の記事で。

【お題箱】ストライクゾーンのど真ん中

こんにちは。お題箱シリーズ第二弾いきたいと思います。今回頂いたお題は「ストライクゾーンのなかでもドストライクって文字に起こすとどんな女性?」です。ストライクゾーンの広さについてはみなさんも知ってのとおりですが、具体的に示すとどうなるのか。がんばって記したいと思います。

 

1. 黒か暗い茶色くらいの髪で、長さはセミロング前後

2. メガネはかけてることがわりと多い

3.若干たらこ唇(友人指摘箇所)

4.背は女性では高い方

5.派手な感じというよりは地味なタイプ

 

こんな感じでしょうか。

 

好みを文字に起こすのってワリとキモい気がしますが、お題箱に投稿されたことはきちんと消化したいと思っているのでがんばりました。

 

(また気づいたことがあれば加筆して公開します)

それでは次の記事で。

【お題箱】 熱が冷めるとき

こんにちは。

社会性ブレーキが旺盛な執筆欲を制限しているので、執筆の主体性を失わせるためにお題箱を採用しました。さっそく1本目の記事です。頂いたお題は「恋愛中の相手しゅきしゅきモードと、しゅきしゅきモードが終わった後について、の考察」です。そういえば「しゅきぴ」っていうのが最近、恋人を指す語になるって聞いたんですけどマジですか?

 

これは欲しかったゲームソフトを買ったときを想定するとわかりやすいと思うのですが、買った当初はついに手に入れた嬉しさで、いつまでもやりこんでお母さんに怒られることは誰しもあった経験なのではないでしょうか。しかし、それも時が経つにつれてその熱も下がっていき2週間もすれば、ただの自分の持ってるソフトの内の1つになるのではないでしょうか。そのソフトが特別なものじゃなくなるというわけです。

 

これと同じで、恋人に対する熱も最初は相当なものであっても、時間が経つにつれ恋人がいることが日常になっていくと思います。その存在が当たり前になることが「熱の冷めること」、すなわち「しゅきしゅきじゃなくなること」だと思います。

 

その恋人と一生添い遂げるなら、なるべく早く冷める方がいいと思います。なぜなら、その期間が長ければ長いほど冷めたときのギャップにショックを受けるし、当初は気に留めなかった小さな不満がいつのまにか大きくなりすぎている可能性が高いからです。

 

熱の冷めることは交際のステージが1つ上がることを意味しています。ぜひ新たなステージを悩むことなく、楽しんでいただきたいです。

 

それでは次の記事で。

脱コミュ障に向けての一歩

こんにちは。日光行きの特急に揺られながら記事を書いてます。今日は最近ようやく苦手意識のなくなったとある動作についてお話します。

 

ご存知の通り、わたしは陰キャ目冴えない科コミュ障属に属しております。今でも知らない人と話すときは口数が極端に減るカスっぷりです。中々悲惨な状況ですが、さすがに22年生きているのでようやくわずかな進歩が見られたように感じております。それは、タイトルにもあるとおり、人の目を見ることができるようになったということです。

 

かつてのわたしは人と話すときの目線は横に逸れてるか、下を向いているかのどちらかの状況で、このことに関しても度々指摘されてきました。今振り返るとこの理由として考えられることは、ただ人に嫌われたくなくて、人と喋ることが怖かっただけだと思います。いつ頃からそんな状況だったのかははっきりと覚えておりませんが、少なくとも幼い頃からそうだったのではと自覚しております。

 

そんな恥の多い人生を歩んできていましたが、最近揉める案件が続いてきたおかげなのか、自分の中である意味吹っ切れたのかはわかりませんが、前ほど抵抗感がなくなっていました。いい傾向です。

 

目を見て話すことができるようになったことで、ある事実に気づくことができるようになりました。それは人の目を見て話すことは人の話を真剣に聞くことができるということです。些細なことかもしれませんが、わたしの中では非常に大きな衝撃を生み出したわけです。実際、目を見ることで注意をよそに向けることなく、会話に集中できるので相手からしても真摯に話を聞いてもらえてると思えて好印象なのではないでしょうか?やはりコミュニケーションの基本である会話は蔑ろにしないことが大事だというのがわたしの持論です。

 

わたしはまだまだ若干応答にキョドったりすることはありますが、マトモな人間になれるよう日々精進したいと思います。

 

それではまた次の記事で。

「ストライクゾーンの広さは心の広さ」の真意

こんにちは。人生で一番嫌な瞬間はユニクロでジーンズの裾上げしてもらうときならざほです。

 

今回は僕は真理と信じて疑わないテーマ「ストライクゾーンの広さと心の広さの相関関係」について語りたいと思います。

 

そもそも当たり前の話なんですが、人の好みは全員バラバラです。たとえば、身長の高い低い、口数が多い少ない、インドア派かアウトドア派などなど...。一部分はカブっても全体カブることはごくまれです。さらには「○○専」という語が存在してるように、おおよそマジョリティ的な評価とは一線を画する嗜好も存在しております。そういったその人オリジナルの好みを人間誰しも有していることでしょう。その好みを今回はストライクゾーンと見立てて話を進めていきます。

 

地球上には単純計算で異性が35億人はいます。そりゃ35億人もいればストライクゾーンに入る人もいることでしょう。この日本だけに限っても6000万人もいるんです。日本にもストライクゾーンド真ん中の人がいて当然だと思います。正直ここ東京なら半日繁華街を歩くだけで見つけられると感じております。実際今この記事を書きながら新宿駅西口の改札そばで立っているんですが、1分に1回くらいどストライクとまでは言わないまでも全然OKな人が通過していきます。すいませんキモイですよね。-50万点ですね。

 

ちょっとふざけましたが、ストライクゾーンが狭い人って、結局見た目にも相当な高いハードルを設定しているので、結構内面に関してもこうあるべきという厳しい無意識的な要求をしているのではと感じております(あくまで個人的見解です)。普通に考えて外見へのこだわりが厳しいのに、内面は一切気にしてない人ってよほどのメンクイじゃない限りなかなか危険な感じがするのではないでしょうか。しかしこの逆、外見へのこだわりはないけど、内面を重視する人って自分のことをちゃんと見てくれそうで信頼できると感じませんか?ストライクゾーンが広いというのは人の外見は気にならないと認識していることの結果なのではと言えませんか?

 

人間誰しも外見にはコンプレックスを抱えて生きています。実際、自分に関しては外見でのセールスポイントは皆無に等しいです。その事実は度々指摘されてきました。その点はいまさら悔やんだところでどうしようもないです。そしてそれは誰のせいでもありませんし、直す必要もあるとは微塵も感じておりません。このことは誰にもあてはまることだと思います。その各人の心の穴がどんなものであっても拒否することなく、まっすぐに許容しうることができるのは心が広いと言っても過言ではないと言いきれるはずです。自分が気にしていることを含めて自分のことを認めてくれる人はその人の自己肯定感を大幅に向上させることは間違いないでしょう。

(この自己肯定感、個人的な意見なのですが人生に活力を見出すためになくてはならないと思っております。これに関してはまた別の項で語ります。)

 

途中から話が飛躍してる感は否めませんが締めとして言いますと、どんな外見のコンプレックスを抱いていようと、嫌悪感を抱かずに内面をちゃんと見ることができるようになるのはいろいろな人と出会う人生で中々大事なことなのではないでしょうか。

 

それではまた次回。